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瀬島龍三【せじま・りゅうぞう】伊藤忠商事会長・大本営陸軍参謀兼海軍参謀

更新日: 2007-09-05 

瀬島 龍三【せじま・りゅうぞう】


【肩書き】伊藤忠商事会長・大本営陸軍参謀兼海軍参謀
【生年月日】1911年12月9日
【没年月日】2007年9月4日
【出身地】富山県西砺波郡松沢村(現・小矢部市鷲島)
【学歴】旧制砺波中学、東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校を経て
1938年12月陸軍大学校を首席で卒業
【経歴】
1911(明治44)年12月09日富山県西砺波郡松沢村(現・小矢部市鷲島)の農家で生まれる。びりで陸軍幼年学校に入学するが、懸命になって勉学し、続く陸軍士官学校ではトップの成績を修め卒業。士官学校を出ると、郷里富山の歩兵35連隊付となり、20才の若さで初年兵100人をあずかることになる。ある時、師団長の推薦で陸軍大学の受験資格を得て、陸軍大学に入学する。合格率32倍の厳しさだった。1938(昭和13)年、陸軍大学を首席で卒業。

戦時中にはガダルカナル島撤収作戦の主任参謀、関東軍参謀を務めるなど、大本営陸軍参謀兼海軍参謀。敗戦後、シベリア抑留、ロシア捕虜収容所で11年強制労働させられる。

帰国後、伊藤忠商事に入社。1961(昭和36)年、社長就任2年目の越後社長が、瀬島の素質を見抜き、入社3年目にして、業務部長に抜擢。翌1962(昭和37)年にはなんと、取締役業務本部長の大任を与えられる。半年後に常務、1968(昭和43)年には専務、1972(昭和47)年にはついに副社長に就任。しかし、なぜか社長にだけはなることがなく、副社長から副会長へ、副会長から会長へと歴任。退社後、臨時教育審議会委員や臨時行政改革推進審議会の委員などを務める。

2007(平成19)年9月4日午前0時55分、老衰のため逝去、享年95

航空機商戦を描いた山崎豊子氏の小説『不毛地帯』の主人公のモデルといわれた。

【年表】
1911(明治44)年12月9日富山県西砺波郡松沢村(現・小矢部市鷲島)の農家で生まれる
旧制砺波中学、東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校を経て
1938年12月陸軍大学校を首席で卒業
1939(昭和14)年大本営陸軍参謀兼参謀本部員
1945(昭和20)年関東軍参謀
1945(昭和20)年8月敗戦と同時に対ソ連停戦交渉の軍使として極東軍最高司令部に出頭
1945(昭和20)年9月ソ連に連行され、1956(昭和31)年まで11年間、シベリアで抑留生活を送る
1956(昭和31)年帰国
1958(昭和33)年1月伊藤忠商事入社
1968(昭和43)年伊藤忠商事専務
1971(昭和46)年いすゞ自動車と米ゼネラル・モーターズ(GM)との提携を指揮
1972(昭和47)年伊藤忠商事副社長
1977(昭和52)年伊藤忠と安宅産業との合併を担当
1978(昭和53)年伊藤忠商事会長
1981(昭和56)年3月臨時行政調査会委員(臨調)
1981(昭和56)年6月伊藤忠商事相談役
1983(昭和58)年7月臨時行政改革推進審議会(第一次行革審)
1983(昭和58)年第三十六回北日本新聞文化賞受賞
1984(昭和59)年勲一等瑞宝章受章
1987(昭和62)年第二次臨時行政改革推進審議会会長代理
1987(昭和62)年7月伊藤忠商事特別顧問
1991(平成3)年9月外相の諮問機関・外交強化懇談会座長
2000(平成12)年6月伊藤忠商事退任
2001(平成13)年衆議院議長・綿貫民輔の私的諮問機関「衆議院改革に関する調査会」会長
2007(平成19)年9月4日午前0時55分、老衰のため死去、95歳



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