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正力松太郎【しょうりき・まつたろう】大衆娯楽の父・読売新聞・日本テレビ

更新日: 2010-02-05 

正力 松太郎【しょうりき・まつたろう】


【肩書き】大衆娯楽の父・読売新聞・日本テレビ
【生年月日】1885年4月11日
【没年月日】1969年10月9日
【出身地】富山県射水郡大門町(現射水市)
【学歴】旧制高岡中学(現富山県立高岡高等学校)、第四高等学校を経て
明治44年7月東京帝国大学法科大学独法科卒業
【経歴】
1885年4月11日富山県の土建請負業の旧家に生まれる。帝大卒業後、1912年高文試験に合格。警視庁入りした。米騒動鎮圧など数々の功績を残したが、虎ノ門事件の警護責任を負い官界をさる。その後、読売新聞社の社長に就任。新聞の徹底的な大衆化を図った。飛躍的に読者層を拡大しながら、日本にプロ野球を紹介するなど、後にテレビの普及に貢献することになる娯楽の企業化を促進した。
【年表】
明治18年4月11日土建請負業を営む父・正力庄次郎と母・きよの次男として富山県射水郡枇杷首村(現射水市)に生まれる
旧制高岡中学(現富山県立高岡高等学校)、第四高等学校を経て
明治44年7月東京帝国大学法科大学独法科卒業
明治44年7月内閣統計局入局
大正2年6月警視庁入庁
大正3年日本橋堀留警察署長
大正6年2月牛込神楽坂警察署長
大正8年6月警視庁警務部刑事課長
大正10年6月警視庁官房主事
大正12年10月警視庁警務部長
大正13年1月虎ノ門事件で警視庁警務部長を引責辞任
大正13年1月読売新聞の経営権を買収、社長に就任
昭和3年「京成疑獄事件」の連座により、禁固4ヶ月、執行猶予2年の判決
昭和9年大日本東京野球倶楽部(読売巨人軍の前身)を創設
昭和19年5月貴族院議員に勅選
昭和20年12月A級戦犯に指定され、巣鴨拘置所に収容
昭和21年1月公職追放
昭和22年9月不起訴、釈放
昭和25年10月読売新聞を有限会社から株式会社に改組
昭和27年10月日本テレビ放送網初代社長(〜昭和30年)
昭和29年読売新聞社主
昭和30年2月衆議院議員(当選5回、自民党)
昭和30年11月第3次鳩山内閣で北海道開発庁長官
昭和31年1月原子力委員会の初代委員長
昭和31年5月初代科学技術庁長官
昭和32年7月第1次岸内閣改造内閣で国務大臣(国家公安委員会委員長、科学技術庁長官、原子力委員会委員長)
昭和33年6月読売新聞社主に復帰
昭和33年8月読売テレビ放送会長
昭和37年駒澤大学より名誉博士号授与
昭和39年11月勲一等旭日大綬章受章(没後、勲一等旭日桐花大綬章追贈)
昭和42年5月報知新聞社社主
昭和44年10月9日死去



キーワード:【し】[富山県][東京大学][1880代生][1960代没][1885][04-11]

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