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鬼塚喜八郎【おにづか・きはちろう】アシックス創業者
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更新日: 2007-09-30
■鬼塚 喜八郎【おにづか・きはちろう】 【肩書き】アシックス創業者 【生年月日】1918年5月29日 【没年月日】2007年9月29日 【出身地】鳥取県気高郡明治村大字松上(現・鳥取市松上) 【学歴】昭和11年旧制鳥取一中(現・鳥取県立鳥取西高等学校)卒業 【経歴】 1918(T7)年、鳥取県に生まれる。1936(S11)年、旧制鳥取第一中学校を卒業。軍隊生活を経て、1949年(昭和24)3月に、神戸市の自宅でスポーツシューズ製造会社「鬼塚商会」を興す。最初に開発した商品はバスケット・シューズで、すべりにくくするため靴底をタコの吸着盤のように工夫したものだったが、「オニツカタイガー」のブランドが無名で売れず、販売はのびなやんだ。しかし、ブランド名はしだいに広がり、種類も増加してバレーボール・シューズやマラソン・シューズなどがくわわり、売り上げも増大した。
1955年に東京に進出して東京鬼塚株式会社を設立、東日本の販売拠点を確立した。56年、「オニツカタイガー」の製品がメルボルン・オリンピックに参加する日本選手団用トレーニング・シューズとして正式採用され、会社は大きな飛躍をとげた。57年にオニツカ株式会社を設立、翌年には鬼塚と東京鬼塚の両社をこれに吸収合併し、生産と販売の一体化をはかった。64年、神戸証券取引所に株式を上場した。
1977年7月、スポーツ・ウェアのジィティオ、ニットウェアのジェレンクをくわえて3社が対等合併し、総合スポーツ用品メーカーとしての形態をととのえるとともに、社名をアシックスと改称した。80年代にはブラジルとオーストラリアに現地法人を設立して、海外進出をはたした。また、92年(平成4)のバルセロナ・オリンピックを機に日米欧の共通ブランド化をはかったが、その後は業績がのびなやみ、不採算部門の見直しによる再建につとめている。98年1月、機構改革をすすめて営業拠点の統廃合をおこなった。
【年表】 大正7年5月29日農家の父・坂口伝太郎と母・かめの三男二女の末っ子として鳥取県気高郡明治村大字松上(現・鳥取市松上)に生まれる 昭和11年旧制鳥取一中(現・鳥取県立鳥取西高等学校)卒業 軍隊生活を経て 昭和24年3月鬼塚商会創業 昭和24年9月鬼塚商会を改組し、鬼塚(のちにオニツカ鰍ニ合併)設立、代表取締役社長(オニツカ鰍ヘ、昭和52年7月潟Wィティオおよびジェレンク鰍ニ合併して潟Aシックスに商号変更) 昭和30年8月関東・東北地区の販売拠点として東京鬼塚(東京都)を設立 昭和32年6月生産部門としてオニツカ鰍設立 昭和33年7月鬼塚梶A東京鬼塚鰍オニツカ鰍ノ吸収合併、生産・販売を一体化 昭和39年2月神戸証券取引所に上場 昭和39年4月大阪証券取引所市場第二部に上場 昭和47年5月東京証券取引所市場第二部に上場 昭和49年6月東京・大阪証券取引所市場第一部に指定替え 昭和52年7月潟Aシックスに商号変更し潟Wィティオおよびジェレンク鰍ニ合併 平成4年4月潟Aシックス代表取締役会長 平成7年4月取締役会長 平成19年9月29日正午ごろ、心不全のため死去、89歳
キーワード:【お】[島根県][1910代生][2000代没][1918][05-29]
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